
公式HPのギャラリーやYouTubeショートでは沢山の逸品兜を掲載しております。
その掲載している甲冑を例に、兜のことを詳しくお話ししていきたいと思います。
今回は間(けん)についてです。
1分ほどでサクッと読める内容となりますので最後までお楽しみ下さい。
また弊社の兜だけでなく、お手持ちの兜やお目当ての甲冑にも共通するお話ですので、是非照らし合わせてご覧ください。
◆○○間は何を表している?
ギャラリーやYoutubeショートに掲載している甲冑もそうですが、博物館などで展示される甲冑にもしばしば名前に○○間と付くことがあります。
これはとある数を表しているのですが、何の数字か皆さんご存じですか?

これは兜の鉢の間隔の数を表しています。
戦乱の時代、兜の鉢を制作する際は矧板(はぎいた)という細長い鉄製の板を頭の形に合わせ半球体になるように重ねて制作をしていました。
鉢には数枚~数十枚の矧板(はぎいた)が使われ、そのときに出来る板同士の間隔のことを間(けん)と呼びます。
言い換えますと矧板(はぎいた)を12枚使う鉢は12間(じゅうにけん)、24枚使う鉢は24間(にじゅうよんけん)ということになります。


ただ間隔の数を表しているだけでなく、この間数の変化に歴史が隠れています。
◆時代による間数の変化
平安時代頃から鍛鉄技術の発達により、ある程度大きな鉄の板を鋲で留めて作ることが可能になりました。
その際、鋲も大きな物が使用されるようになり、いわゆる厳星兜(いかぼしかぶと)が誕生しました。
このときの鉢の間数は10~18間が主流だったと言われています。
戦闘が激化するにつれ、より強くて頑丈な兜が必要となりました。
そこで、矧板(はぎいた)の枚数を増やし板同士が重なる面積を多くすることで、より堅牢な鉢が開発されました。
時代にもよりますが鎌倉時代で20~30間、室町時代後期には32~62間の兜が増えていきました。

さらに江戸時代に入ると100間や120間といった兜も登場します。
この兜は戦闘用と言うよりは装具や奉納として、また甲冑師の技量を見せつけるためでもあったと言われています。
鍛鉄技術の発展や普及、鉄板を大きな鋲でかしめる筋力、多くの矧板を美しく仕上げる緻密な技など、それぞれの時代で必要とされる技術は違ったかもしれませんが、いずれの時代も甲冑師たちの相当な熱量と技巧の賜物であることは想像に難くありません。

お手持ちの兜や博物館などで所蔵されている甲冑をご覧になる際は、是非とも間数にも注目してみてください。
最後までご覧いただきありがとうございました。